「グリーフケア」という言葉を聞くと、家族や親しい人との死別による悲嘆を慰めるというイメージをもたれる方が多いと思います。
もちろん、それも大事なケアには違いありませんが、ビハーラ21が実践するグリーフケアはもう少し範囲が広がります。
■「老」
成人したすべての皆さんが、日々「老」いていきます。
髪が薄くなったり白くなったり、顔にはりが無くなりシワが増え。容姿が老けていくだけでなく、身体も徐々に思う通りに動かなくなってきます。
「昨年は出来たことが、今年はできなくなってきた」
この嘆きは、一種のグリーフ(喪失による悲嘆)と考えられます。
「誰でも、年とったらそうなるよ」
心無い言葉に傷つけられます。「老」を感じている人は、黙ってはいるけれど心では泣いているのかもしれません。
「グリーフケア」は、テクニックではないでしょう。
一緒に食事を楽しむ人がいるだけで、「老」に前向きになれるかもしれません。
■「病」
「病」むということは、時として社会性をも喪失してしまうことがあります。
仕事、家庭、貯蓄・・・
一度失ったものを元に戻すのは容易ではありません。もう二度と戻らないことの方が多いでしょう。
それを「絶望」と言うのだと思います。
そんな時、誰かがそばに居て気持ちを受容し共感してくれたら、心強いかもしれません。
■「死」
自分という存在がこの世から消えてなくなることを考えると恐ろしくなります。
自分とは何?
何処から来て、何処に行くの?
誰しも一度は考えたことがあると思います。それをスピリチュアルペイン(魂の痛み)と呼んでいます。
■ビハーラ21の実践するグリーフケア
写真の男性は、2016年9月29日深夜に満85歳で命終されました。
(撮影日は上から7月20日、9月24日、10月2日であります)
男性は、無茶な生き方をしてきたため高齢になってからは、社会的に孤立していました。ただ、男性の人生を振り返った時、必ずしも「自業自得」とは言い切れないのではないかと思います。
しかし、男性の人生終盤、「グリーフケア」には恵まれたかもしれません。
医療者による身体的ケア。
介護者による社会的、精神的ケア。
仏教者によるスピリチュアルケア。
その他たくさんのボランティアに支えながら、最期まで自分らしく生き切ったのではないかと思います。
親族が1人も参列しない葬儀でありましたが、グリーフケアに関わった多くの皆さんがお別れに駆けつけてくれました。
それぞれが、それぞれの役目を果たし支え合うことを実践したと思います。
豊かな(持っている)者が、貧しい(失った)者へ哀れみを抱いた行動ではないでしょう。
医療福祉現場において、支える人支えられる人でなく、お互いがお互いを支え合う、それがビハーラ21の実践するグリーフケアだと思います。
(文責:三浦紀夫)