【主張】僧侶は労働者なのか!?➂

今日、地区のご高齢者さんたち約40名ほどと昼食をご一緒した。

「お寺さんですか?」

隣に座った男性から尋ねられた。いろいろお話すると、その80代の男性は九州の出身でご実家は曹洞宗の檀家さんだとの事。筆者が「修行のため、福祉の現場で仕事をしている」と言うと、わかったようなわからんような顔であった。

◇ ◆ ◇ ◆

その後、療育手帳をもっている5人の男女とボウリングに出かけた。

彼らは、地下鉄に乗ってナンバまで出かける「身体能力」はもっている。しかし、他人とのキョリ感をつかむのが苦手で、繁華街に出かけるのを不安がる。

多くの「常識ある(と思っている)人」の目には、彼らの行動は少し奇妙に映るであろう。繁華街に出ると、多くの視線が彼らに集まるのがよくわかる。

彼らは、「非常識」「マナーが悪い」とレッテルを貼られるが、彼らには彼らなりの「事情」がある。

杖をもつほどではないが視覚に障害があると、他人とぶつかってしまう確率は高い。

「察する」ことが苦手な彼らは、ボウリング場の受付の列に並ぶという行為がわかりにくい。

でも、ほんの少しの手助けがあれば、彼らはナンバ(繁華街)で、他人とのトラブルなくボウリングが楽しめるのである。

筆者は労働者ではない。

福祉サービスの提供者として彼らに同行しているのではない。もちろん、保護者でもない。あくまで仲間の一人として、彼らとボウリングを楽しんでいるのである。

それが筆者が選んだ僧侶(求道者)としての道である。

「食うために僧侶をするな。僧侶をするために働くのは良い」と言う日蓮宗の上人がいたそうだ。

僧侶をするために労働者として働く人もいるだろう。

檀家さんからの浄財だけで僧侶ができる人もいるだろう。

しかし、ご門徒さんと一緒にお参りする時間を「賃金の発生する労働」とするなら、それは宗教とは違うものであろうと主張する。

(投稿者:三浦紀夫)

 

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