【主張】僧侶は労働者なのか!?

本日の産経新聞1面(と24面)にて、真宗大谷派教団が40年超にわたり違法な労使問題があると大きく報じられた。

問題となっているのは、東本願寺(真宗本廟)内にある同朋会館。全国から集まるご門徒さんの宿泊研修施設である。

同会館は、ビハーラネットワーク奉仕団も10年以上お世話になっている。そのたびに職員の皆さんと「医療福祉現場で僧侶が活動すること」を一緒に考えてきただけに、記事を目にしてショックを受けた。

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「お世話になっているが他人事」という話ではなく、これは、医療福祉現場にてグリーフケアを実践しようと呼びかける筆者にとっては、避けて通ることのできない「大きな課題」である。

筆者がすすめる「ケア提供者」は、ボランティアを想定していないからである。

なぜなら、「空いた時間に、こちらの都合で」というスタイルでは、相手の苦悩に向き合う「ケア」にはならないと考えるからである。

筆者の考えるケア提供は、相手が「自分の話を聴いてくれる。自分のために時間を使ってくれている」と感じられる時に最大の効果が得られるのである。よって、「提供側の都合」では、意義が薄いと思う。

では、病院や施設がケア提供者を雇用するのが良いのか、というとそうでもない。

労働者である限り「時間の制約」は同じことである。それ以前に、ケア提供者に給料を支払う余裕(理解?)のある機関はそう多くはないだろう。

そこで期待されるのが宗教者である。

筆者が思うに、「老・病・死」に苦悩する人々の話に耳を傾けるのは「仕事」ではあるが「業務」ではない。かと言って、「空いた時間に片手間でする」ような軽いものでもない。

それは「宗教活動」である。

そこに向き合う筆者は、労働者でもボランティアでも団体役員でもなく、「僧侶(求道者)」である。

その宗教活動に対して、支援者(スポンサー)から御布施を頂戴して生きている、また、活動資金にしているのである。

僧侶が、労働者になって悪いと言っているのではない。

僧籍をもつ者が労働者になることと、僧侶として宗教活動をすることは明確に切り離す必要があると主張する。

医療福祉現場で宗教者が活動するというのは、そういう事だろう。

(投稿者:三浦紀夫)

 

 

 

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